出会い | スピード結婚 | 我が家の コンサート |
泰子の リサイタル |
泰子の 音楽活動 |
一夫の チェロの演奏 |
スピード結婚 |
プロポーズは演奏会の打ち上げで |
1979年3月11日の演奏会の打ち上げの席で,一夫は泰子にプロポーズします。 一緒に演奏した仲間に押され結婚しろよと言われての、結婚宣言になりました。 出会って5ヶ月,演奏のために毎日会うようになってわすか18日でした。 「皆から当然結婚するんでしょうという感じになり。でも決断は早かったです。」と一夫。 「強引にね(笑)。年上の方なので頭を下げてもらうのも悪いなと思い,小ちゃくなっていましだ。」と泰子さん。 |
結納も3月末に |
演奏会を終えた3月30日,三川家と山本家が三川家に集い結納となりました。 |
一夫を気に入った泰子の父は結婚に賛成してくれましたが、母は,「無理しないで,断ってもいいのよ。」 と囁くように泰子に言い続けました。 大学卒業してそろそろ福岡に帰ってくると家も改築して待っていただけに,卒業と同時に,突然娘を失うような淋しい気持ちになっだのでしょう。 |
結婚式 |
1979年5月22日 東中野の日本閣で結婚式を挙げました。 一夫の紋付袴は,「祖父のを着てるんです。私より小さかったから実は短くて。」 泰子さんの着物は,「学生ですっとお金がなかったから一番安いのでって言いました。(笑)」 「ばっと見て,はいこれにしますって。 やっばり早く結婚したかったのかな(笑)」 出会いから結婚式まで,恋愛なんかしている暇なんかなかったというスピード婚。 だから結婚した時はお互いを全然解らなくって。 でも逆に,それですっと新鮮なのかもしれない。 一夫と泰子は,結婚してからが恋愛の始まりでした。 |
お色直し |
お色直しは,一夫が白のタキシード。泰子はサーモンピンクのドレス。 「サーモンピンクの色が好きだよね。」と一夫。 淡く優しい色が泰子に似合います。 超スピード婚は,極秘婚でもありました。 「同僚の結婚式が3,4月に2つあって だから5月に急に結婚しますとは,言えなかった。 したがって式は身内でやりました。」 |
結婚式は演奏会 |
結婚式は,両家合同音楽会のようでした。 まず泰子の父がシューベルト歌曲から歌い,泰子も友人のヴァイオリンとピアノで演奏。 作曲家で音楽家の一夫の伯父がお琴を演奏し,一夫が一緒にチェロを。 最後に,新郎新婦共演でサンサーンス「白鳥」。 音楽の溢れる楽しい式となりました。 実は,結婚式のシナリオもタイムテープルも全て, 一夫がプランを作りました。 「今迄友人の結婚式を手伝っていて慣れてるから。」と一夫。 「何でもできちゃうんですよ。」と泰子。 友人・知人を呼んでの結婚パーティーは,六本木のコ ージーコーナーで。店内のピアノが気に入り,決めました。 ここでは,一夫の大学のオケ仲間や,職場の同僚や友人達も来てくれました。 結婚式同様, 出席者も演奏したり聴いたり,皆,喜んでくれてました。 「来た人に,楽しくて,ああよかったなって思ってもられるような式にしたいと思って。」 と総合プロデューサーの一夫。 自然と人を喜ばせようとする気持ちが湧き出るのでは,両親譲りでしょうか。 |
結婚式後はさっそく別居に |
結婚式の当曰は,東京駅のホテルに泊まりました。 翌日泰子は新幹線で福岡へ。一夫は職場へ。 結婚直後は別々の暮らしとなりました。 泰子は恩師の開く6月の「新人演奏会」に参加する為一旦実家へ戻りました。 福岡のビアノの先生は大変厳しく,泰子の突然の結婚も快く思わず,発表会の準備ができなくて弾けないなら出なくていい。やめなさい。 とまで言われました。 気持ち萎えていた泰子に,お母さんが, 「今迄一生懸命練習してきたことだから,中途半端でやめないで,最後までやりなさい。自分が頑張ってきたものを人様にもお見せして,それをきちんと示しなさい。」と励まします。 お母さんの言葉を受けて,泰子は,演奏会に参加しました。 「ショパンのバラード4番」を弾きました。 泰子のショパンは非常に音が綺麗。 ショパンの良さが凄く出る。」 「泰子のピアノが好きな人も多いですよ。」 一夫も花束を持って会場にかけつけました。 泰子にとってこの演奏会が,福岡から東京への切り替えになりました。 |
甲子園球場に応援に |
6月に入り,ようやく東京での生活が始まりましだ。数学教師である一夫の勤務先は城西高校。 野球部が地区予選に出場したので,二人で神宮に応援に行きました。 「それが結婚して最初のデート。」 すぐ負けるからといっていたら,何と,東東京で優勝して甲子園出場が決まりました。 「甲子園にも行こうと,1回戦,2回戦と応援に。」 野球観戦は初めの泰子も夢中になって応援しました。 その後は新婚旅行の出発日となり,切符も取ってあるからと,後ろ髪引かれる思いで新婚旅行に旅立ちました。 結局,城西高校は,この年,甲子園でベスト8まで勝ち上がりました。 城西中高は,今は都内有数の進学校ですが,この頃は, 文武両道の良い校風がありました。 体育の柔道を教える女の先生が, 世界選手権の女子レスリングに初出場したり。 それで, 城西には女子レスリング部があったり。 子園でベスト8になったり。 スポーツが盛んな活気ある校風がありました。 それと同時に,人間教育を真剣に者える教師も集まっていました。 生徒も優等生だけでなく,悪いのもいつばいいて。 でも真剣に向き合っていました。 初めて組合を作り労働環境を改善したり,どういう学校にするかを皆で話合ったりして,カリキュラム選択制を導入したり,生徒約500人全員の希望を取り入れたクラス作りをしたり,文系理系を分けない自然な学校作りを目指し,志の高い教師が熱心に取り組みました。 教員の家族同士も仲が良くて,皆で蔵王にスキーに行ったりよく集まったりしていましだが,時間をかけた取組みや改革が続いたため,毎晩遅くまで目一杯仕事をしていました。 そうした教師の作る熱い雰囲気が学校の土台となり, 生徒達の活気にも繋がっていましだ。大変だけど,仕事はやりがいがあり,また楽しんでやってもいました。 |
新婚旅行へ |
8月15日ようやく新婚旅行に出発します。 「夏のヨーロッパ音楽祭」のツアーに参加しました。 しかし, ツアーとは名ばかりで,往復の飛行機と初日最終日のホテルそれ以外は全てフリ ーでした。 新婚旅行のツアーパンフレットです。 伺処にどうやって移動するか, どの音楽会に行くか,どこに宿泊するか,全て自分達で決めるのです。 一夫は,時刻表や地図を眺め新婚旅行も自らプロデュースしました。 |
伺処にどうやって移動するか,どの音楽会に行くか,どこに宿泊するか,全て自分達で決めるのです。 一夫は,時刻表や地図を眺め新婚旅行も自らプロデュースしました。 |
旅行会社から配られた時刻表と予定記載用の手帳。 その手帳には,赤字で訂正が沢山書き込まれていました。 「予定はどんどん変わっちゃうんですよ。」 例えば「予定していたホテルがとれなかった」とか 「電車の時間に辿り善けなかった」とか。 ツアー参加者12名とは,初日のフランクフルトで別れて最終日のパリで集まるだけ。 そんな新婚旅行の道中で,泰子が毎日丁寧に綴った 旅日記が出てきました。 事件は沢山起こっていました。 ます,箱崎ターミナルで受け取るはすのパスポートがない。 問い合わせると,成田に届いていました。 最初の経由地ロンドンでは,言葉が全く通じなくて 乗り換えの便がわからない。 ツアー客全員がしゃべれない。 なんとか語学が出来る人をみつけて乗り換えに成功。 |
フランクフルトでは,ホテルが立派で喜んでいたのもつかの間,翌朝,エレベーターが故障。 5階の部屋からロビーまで重い荷物を階段で運びました。 ウィーンでは,音楽会のチケットを購入するのに四苦ハ苦。 身振り手振りでやっと買えたメリー・ウィドウのチケット! チケットの次は宿泊先と,今度は駅のインフォメーションで。再度身振り手振りでホテルもゲット。 「ハハハハ,結溝面白いよね。僕は絶対駅に行けば宿はあると思ってました。」 「それに綱渡りだけど,こうやって,ウィーンでメリ ー・ウィドウを聴いて,ザルップルクでポリーニもヴァーンスタインも聴くことができたし。 だめだったら別のプランに切り替えればなんとかなるものですよ。」と楽しげに語る一夫。 「頭のいい人じゃないとできないな(笑)。 それにいろいろ知ってる人。」と泰子。 音楽祭を無事終えて、チュリッヒからモンプランに行けたのは嬉しかった。 8000メートル級の山に登るのに,寒さ対策から、一夫はセーターを購入。 泰子は,なぜか寒さと関係ない「民族衣装を買ってもらえて嬉しかった。」そうです。 |
最終地パリの市内観光とノートルダム寺院や有名所に。 ェッフェル塔の前で二人。ホッとリラックスした笑顔で。 スリリングでドキドキする不安だらけの旅ですが、 更に,「私は全くしゃべれないです。 それでこのフリープランですよ。度胸だけで。」と一夫。 「そんな人だと思ってなかったから。でもこの人と緒にいたらね、大丈夫だなって。」と泰子 泰子は旅行中のメモを残してくれました 泰子の新婚旅行記 |
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認知症に なるまで |
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二人が結婚し泰子さんが認知症になるまでの音楽活動 | ||
ピアノが 弾けなくなる |
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ピアノが弾けなくなってからの奇跡の復活(注文をまちがえる料理店) | ||
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NHKの取材の様子 ハートネットTVで放送されるまで |
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完全にピアノが弾けなくなり車椅子の生活に | ||
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