腎細胞癌闘病記 | |||||||
発見から入院まで | 入院から退院まで | 退院から半年まで | 退院後半年から1年まで | 退院後1年から1年半まで | 退院後1年半から2年まで | 退院後2年から2年半まで | 退院後2半年から3年まで |
入院から退院まで | |||||||
2002年2月15日 (金) | |||||||
本日より入院しました。主治医は平野Gです。病室は5Aの31室です。面会時間は平日は15時から20時で、日曜祭日は13時から20時までです。南向きの窓側ということで、とても明るく見晴らしのいい部屋で、とても快適です。明日、腎動脈造影を9時からやることになり、それについての説明を女房と一緒に受けました。12時間は動けないということで、辛そうです。また、4時半頃からMRIの検査をしました。5時からは明日の検査のために、毛を剃りました。 | |||||||
2002年2月16日 (土) | |||||||
昨晩は、少し寝汗をかきました。少し腰が痛いです。本日は9時から腎動脈造影の検査を行い、10時に終了しました。その後から、ずーと寝たままで動いてはいけないのに、こんなときに腰が痛くなってしまい、とても大変でした。21時にベッドの上でゆっくりなら動いていいといわれ、やっと落ち着き、出なかったおしっこも出ました。18時ころ、6期生の親が3名が心配して、お見舞いに来てくれました。検査なのに大変な1日でした。 | |||||||
2002年2月17日 (日) | |||||||
本日は、朝食後9時過ぎから歩いていいということで、トイレに行きました。やっと落ち着きました。10時過ぎからは、普通にしてよろしいということで、洗面をしました。 | |||||||
2002年2月18日 (月) | |||||||
昨晩は寝汗がひどかったでした。まだ少し腰が痛いです。そのせいかな。昨日は、公衆電話での通信がどうしてもうまくいかないので、外でHを使って通信しました。ホームページも更新できたし、たまっていたメールも読めました。息子や娘からのメール、父母からのメール、同僚からのメールが入っていました。本日は、特に検査もなく一日のんびり過ごせます。 | |||||||
2002年2月19日 (火) | |||||||
2月18日(月)に、主治医の先生に手術についての基本方針についての説明を受けました。やはり、3~3.5cmの早期腎細胞癌ということでした。9時に手術室に入り、手術は10時から始まり、4~6時間位かかるそうです。手術の方法は3つあり、1番いい方法は最新技術で行う内視鏡で見ながら機械による方法で、部分切除です。これでうまくいくと、翌日には歩けるようになるそうです。この方法でできない場合は、お腹を7cm位切って人間の手による部分切除です。この部分切除がどうしてもできない場合は、全部取ってしまう事になります。どちらにしても、この場合は、1週間ベッドの上で過ごすことになるそうです。何とか、機械による部分切除になるといいのですが。みなさん祈って下さいね。いよいよ明日手術ですので、明日からしばらくお休みです。頑張ります。 こんなに元気です。2月19日6時30分に撮影しました |
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2002年2月20日 (水) | |||||||
8時半にナースステーションに行き、9時に手術室12番へ移動しました。随分たくさん手術をする人がいるんですね、などと話しているうちに、意識がなくなりました。手術は15時半に終わり、私の意識が回復したのが、16時でした。最後まで1番いい方法をトライしてくださったようですが、最後のところが難しく、うまくとれなかった場合のことを考えて、全部とりましたとのことでした。もちろん手術は成功しました、ということで安心しました。 | |||||||
2002年2月21日 (木) | |||||||
この日は10時ごろナースステーションのおくの部屋から、自分の部屋に移動しました。ほとんど、ベッドの上でした。とても辛かったでした。特に、夕食の3分粥をパクパク食べてしまい、20時くらいからお腹が張って一晩中痛くて眠れませんでした。看護婦さんから腹八分目ですよ、とおこられました。私の誕生日なのに散々な1日でした。 | |||||||
2002年2月22日 (金) | |||||||
今日は朝から、動いていいと言われていたので、5時30分にトイレに行きました。朝食は昨日のことがあるので、パンだけ食べました。今日はできるだけ歩いてください、と言われましたので、洗面等せっせと歩いています。初めは辛かったですが、段々楽に歩けるようになりました。本当に人間の回復力には改めて驚きました。主治医の先生から、癌細胞は小さくてよかったですね、と言ってもらいとてもうれしかったです。 | |||||||
2002年2月23日 (土) | |||||||
昨日は長野から、私の心臓ペースメーカーを入れている父親が見舞いに来てくれました。間もなく85歳になりますが、とても元気です。私は負けてられないと思いました。14時半に教授回診があり、その時背中の麻酔用の針を抜きました。それからとても痛くなり大道くんがお見舞いに来てくれたのに、まったくだめでした。夜中にもう一度ひどく痛くなり、座薬を入れて痛みは治まりました。今朝は順調です。 | |||||||
2002年2月24日 (日) | |||||||
昨日は、姉と甥がお見舞いに来てくれました。また、高1担任団の3名がお見舞いに来てくれました。そう言えばレシテーションコンテストですが、何と4組の水村さんが、最優秀賞に選ばれました。本人からも感激の報告メールがありました。まだ、咳が出ていて、その時痛くなり昨夜も座薬で何とか乗り切りました。今朝はもう元気です。傷は順調に直っているそうです。昨日女房にとってもらったはずのデジカメが撮れていませんでした。今日は撮って元気な姿を披露します。 2月24日手術後4日目です |
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2002年2月25日 (月) | |||||||
昨晩は、今までで一番よく眠れました。1時間から2時間おきに目が覚めましたが、咳もほとんど出ず、すぐに次の眠りに入れたのでよかったです。微熱もありません。昨日は日曜日でしたので、面会も多かったです。クラスのご父母が御夫婦で、女房の兄夫婦が、同僚が次々に見えました。とてもうれしかったです。今朝も、主治医の先生から「いつも寝てばかりじゃだめですよ」と、また怒られました。でも、その時たまたまなんですけどね。生徒の気持ちがよく分かりますね。日に日に元気になっています。 2月25日手術後5日目 |
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2002年2月26日 (火) | |||||||
くしゃみが出てきてふと思い出しました。これは花粉症。急いで女房にマスクと鼻炎スプレーを買ってきてもらいました。治まりましたよ。やはり花粉症でした。よく考えてみると私病院ではないんですね。病気の元である、癌細胞を取ってしまったので、単なるお腹を切ったあとの傷の回復を待っているだけですから。傷口が痛いのは当然です。でも、痛くても日に日に動きがスムーズになっています。復帰も近くなっています。昨晩は夜中に2度トイレに起きただけで朝まで眠れました。学年の二人の先生が、父母からのお見舞いを持ってお見舞いにきてくれました。 2月26日手術後6日目 |
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2002年2月27日 (水) | |||||||
昨日は本当に元気でした。1日中歩き回ったって感じでした。痛みも少しずつ和らいでいます。本日抜糸をしました。また、腹膜の管も取りました。点滴も終わりました。いよいよ普通の人間になりました。明日は、シャワーを浴びてもいいそうです。また、3月1日の卒業式ですが、外出してもいいと言われ、とてもうれしかったです。退院も来週の予定です。あと少し、頑張るぞー。 2月27日手術後1週間 |
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2002年2月28日 (木) | |||||||
二十数年ぶりにチェロの古い仲間が、はるばる栃木の小山からやってきてくれました。本当にうれしかったです。また、中2の父母3名がお見舞いに来てくれました。さらに17時頃、検体の結果が主治医からありました。やはり腎細胞癌でしたが、非常に早期であり、癌細胞の種類でもいい種類であり、血管にも入り込んでいないということでした。早期発見で本当によかったと思いました。これで明日はとても気持ちよく卒業式に参列できます。ばんざい。 2月28日手術後8日目 |
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2002年3月1日 (金) | |||||||
卒業式に行ってきました。みんなの晴々とした笑顔が印象的でした。私のところに寄ってきて、「先生大丈夫ですか」と心配そう。「もう悪いところ取ったから大丈夫だよ」と明るく答えました。さっそく「中学のクラス会したいね」って言ってました。私も元気になったら本当にみんなで集まりたいですね。「元2の会」がいいかな。やっぱり子ども達に会うと元気が出ます。行ってよかったです。 3月1日卒業式にて |
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2002年3月2日 (土) | |||||||
さすが久しぶりに外に出て、いろんな人に会ったので、さすが疲れました。まだ体力は充分回復したとはいえませんでした。帰ってから少し昼寝をしてしまいました。いよいよ退院の予定が決まりました。明後日の4日月曜日です。やっぱり退院はうれしいですね。 | |||||||
2002年3月3日 (日) | |||||||
昨日は11日ぶりにシャワーを浴びました。手術してから体は拭いてはいたのですが、気持ちよくはなりません。やはりシャワーはいいですね。とても気持ちよくなりました。また、昨日は大勢の方がお見舞いに来てくださりました。教員はもちろん、ご父母の方々も来てくださいました。また、また、友だちも忙しい中来てくれました。とてもありがたかったです。しかも少しもくたびれませんでした。随分体も慣れてきました。いよいよ明日退院です。やはり早く我が家に帰りたいですね。 | |||||||
2002年3月4日 (月) | |||||||
長いようで短かった入院生活も今日で終わりました。何が変わったというと、まず「左の脇腹に傷跡が残った」という事実です。しかし、29年前結核で8カ月入院したときに比べ、「精神的にははるかに強くなった」と思います。しばらく体調を整えながら、職場に復帰していきます。29年前の第2の人生、23年前の結婚しての第3の人生、そして今回は第4の人生の出発となりました。再発や転移の可能性はありますが、楽しく、自分らしく生きていこうと思っています。 癌は確かに怖い病気かもしれませんが、早期発見できれば、ほぼ直ります。私自身、今回の体験でとても実感いたしました。これからも、再発や転移の可能性はありますので、検診を怠らないでいきたいと思います。退院後についての報告は、ぼちぼちしたいと思います。 3月4日退院しました |
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